〈コンパス〉子どもの心の悲鳴 伝える 不登校 人権の観点から講演
猛暑が続いた夏休みに、ある県の公立小学校の校内研修で講師に呼ばれました。声をかけてくれたのは4年ほど学校現場を離れていた先生。学校に戻ったら、あまりに世の中の動きと乖離(かいり)している現場に驚き、人権研修で不登校の話をしてほしいとの要請でした。校長は「不登校は生徒指導として扱っているが、子どもの人権という観点で話を聞くのは興味深い」と了承してくれたということです。
不登校が「登校拒否」と言われた時代から、子どもたちに「内田さんは子どもの本当の気持ちや考えを伝えてくれる数少ない大人だ。大人には子どもの話を聞く耳がない。子どもの抗議や訴えを取り上げる窓口はどこにもない。ぜひ本当のことを包み隠さず話してほしい」と背中を押され続けてきました。
人権研修の会場は図書室。私が入室する前から直立不動で起立した先生たち二十数人が無表情で待機していました。市民主権の会場ではあり得ない光景です。ここはアウェーだと内心どきどきしながら「登校拒否・不登校をする子どもたちの訴えと保護者の苦悩」というテーマで話を進めました。
登校拒否は子どもが学校をボイコットする抵抗の姿です。子どもたちがなぜ学校を休むのか。その理由や原因を理解しようとせず、「学校復帰」を急ぐ対策に追いつめられて命を絶つ子どもたちが後を絶たない。その現実を知ってほしいと考え、子どもたちの心の悲鳴を伝えました。
「こんなにまでして学校に行かなきゃいけないと知っていたら、お母さんのおなかの中で死んじゃえばよかった」「学校へ行く道は墓場への道。通学路にある石柱が墓石に見える」
いじめに深く傷つき、子どもの人格や人権を無視した先生の指導のため、教室での居場所を失った子どもたちにとっては、家庭が唯一のシェルターです。家庭から引きずり出すことがいかに危ういかを自覚してほしい―など、伝えたいことが次から次へと出てきて時間が足りません。最後に不登校の子どもたちが作成した「不登校の子どもの権利宣言」を紹介しました。
後日感想文が送られてきました。「人権にスポットを当てるならば、子どもの命(の問題)だとしたら、不登校を承認、容認することなのかなあ。今回の講師は不登校を否定しない考え方なんだと思う。現場で言えるのがすごいです」とありました。これからは先生たちに直接語りかける必要があると痛感しました。
2023.9.9 信濃毎日新聞
筆者のつぶやき
学校で学ぶこと、授業の中での発見、知らないことを知れた喜びを実感できることが嬉しくて現在も大学院で研究を進めている筆者にとって、学校に行けない、学校に行くことが怖いという思いがどんな思いなのか、不登校の息子を育てる中で一番苦労したのは、当事者(息子)の気持ちを理解することでした。学校に行き渋りが始まった頃の私は、学校でいじめにあったこと、学校に居場所がなかったことも知らずに、息子に学校に行きなさいと促してばかりで、子どもの声に耳を傾ける余裕もありませんでした。また、不登校は他人事でまさか、自身の息子が不登校になるとは思ってもなく、学校に行きたがらない息子のことよりも世間体の方が気になっていました。朝、起こしに行くと「お腹が痛い」「頭が痛いから休みたい」「明日は行くから今日は休ませて」毎朝、この繰り返しで、学校に休む連絡をする時間が本当に辛かったです。息子と向き合えるようになったのは、県外の全寮制の不登校の受入れ校に通うようになってからだと思います。その学校は、松本から車で片道5時間の所にある山奥の学校でした。環境を変えて今度こその思いで編入させましたが、10日程行けばトラブルになり停学で自宅謹慎、その度に迎えに行くの繰り返し。なんで大人しくしないのか?と思う本音を押し殺して、何度も何度も迎えに行く中で、息子もその学校に行きたくなかったようで、「もう死にたい」と言われた時に、何もかも捨てる勇気がでました。世間体なんかよりも息子の命の方が大切だということに気付くことができたのです。中学なんて行かなくても自分らしく生きて行けるほうが大事だし、勉強ができなくても得意なことを伸ばしてあげて、好きな仕事についてもらいたいという思いになれました。それから、ギスギスしていた親子関係も良くなり、今では息子と色々な話ができる関係になりました。現在、不登校で悩まれている保護者の方、今は先が見えずに辛い日々を送っていると思いますが、親が気持ちの切り替えができた時に光が見えてきます。まずは、肩の力を抜いてお子さんと向き合ってみて下さい。